2008/10/17

King of swing - Kim Wilson

Posted in ハープ日記, ハーモニカ・プレイヤー tagged @ 7:16 pm by Yuki

昨日、コメント欄に 「このブログを読んで、タングブロックを多く使った演奏ができるように練習しています。リトル・ウォルターの初期作品やビッグ・ウォルターの1951年あたりの作品を、昔はほとんどパッカーで演奏していたところを、今はタングブロックで挑戦しています」 というようなことを書いて下さった方がいました (>感激)。

皆さんがんばっていらっしゃるんですね。このところ、なかなか時間が作れなくて、曲のコピーはしていなかったのですが、このコメントを読んで反省して、昨晩からまた気合を入れてコピーを始めました。私は音楽に関しては、うんちくだけの人間には絶対になりたくないのです。私にとっての音楽とはあくまで、自分で演奏したり、ライブで生の演奏をびりびりと体感したり、他のミュージシャンと一緒に演奏をして刺激しあったり音楽の素晴らしさを分けあったりするなど、身体を駆使して心で感じるものなのであります。しかしこういうブログをやっていると、頭でっかちになりかねないので、そうならないためにも、もっと実のある練習をしなくては、と反省したのでありました (Ryoji さん、ありがとー)。

さて、昨晩から始めたコピーは、キム・ウィルソン (Kim WIlson) の “Boogie All Night” のソロ。む、難しい、、、。何が難しいって、フレージングとフィーリングです。キムの演奏は、もうこれにつきますね。繰り返し聞いてなんとか全ての音が吹けるようになっても (ここまででもけっこう大変なんですが。)、キムのように微妙な表現力のある演奏をするのは簡単にできるものではありません。一音一音のシェイプの仕方や音色、スウィング感、、、やっぱりキムはすごいです。私は彼を “king of swing” と呼ぶ。

私がコピーしている曲ではないのですが、キムのかっこいいライブ映像があるのでアップします。彼のライブは2回見ましたが、すごくかっこよくて、「本物ってこういうことをいうのね~」 と思いました。
Kim Wilson

今日はこのキムの曲の他に、リトル・ウォルターの “Last Night” もコピーしました。ハーモニカの難しさというのは、「いかに一音一音に表情をつけるか」 ということだというのを実感した一日であります。色男たちにうつつを抜かしている場合ではない!明日もがんばるぞー! (でも昨日のビッグ・ウォルターはやっぱりすごくかっこいいと思いませんか?今日も3回くらい見ちゃいました、、、。)

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4件のコメント »

  1. tsudda said,

    音楽の接し方…いつも考えさせられる問題です。

    もし音楽の目的がシンプルに「感動」であるならば、プレイする側であろうが聴く側であろうが、本人の資質や経験次第だと思っています。全くの素人さんが、ふと耳にした音楽に涙する…ってな話でも、結局本人にとって意味があるかどうかでしょう。

    ただ自ら演奏するという事は、聴き手側とは当然ながら質の違う感動(連帯感/充足感/達成感etc.)が得られ、本質的には外向性/内向性で真逆という気もします。私は、どちらが一方でも音楽愛好家として胸を張って良いが、出来れば双方にバランスが取れているのがベストかな?と思います。

    まあこれは一般論としての私の拙い考えでして、自分自身の事となるとまた話は違います。私は、コレクターでプチオーディオファイルなだけの自分に居心地の悪さを感じ、改めてハーモニカ演奏技術の習得を目指す事にしたので、少しづつでも日々努力が必要なのだと思っています。勿論、素人の独習者ですからスイスイと実力がupするには厳しいでしょうけどね。だからその分スマートでマイペースな練習を目指すつもりです。
    (今はクロマティックの練習のみで、10ホールズはとんとご無沙汰ですが…)

    >Kim Wilson
    誰しもが認めるトップ奏者だけあって、YouTubeでも実に沢山のプレイが視聴出来ますね。ただアメリカ本国での絶対的と言っていい評価と日本におけるそれとでは、少なからぬギャップを感じています。そういう意味でも、Kimが日本に招かれる事を望みますね。実際のところ、日本のハープ奏者の皆も、彼のようなトップ奏者の来日を密やかに望んでいるのかも?という気もしてます。

  2. Yuki said,

    >tsuddaさん

    音楽の目的は、ジャンルによっても、発信者によっても、受信者によっても様々に変わるものだと私は思っています。

    音楽はもちろん演奏者だけのためのものではないですし、聞き手であることに徹する人々がいるのも当たり前で、それはまた素敵なことだと思います。

    私が (あくまで自分の生き方として) 許せないのは、「ろくな演奏もできないのに、口ばかり達者な音楽家」 なんです。一応音楽で生計を立てている身としては、こういうふうにだけはなりたくないと思います (でも、けっこういるんですよね、こういう人)。

  3. tsudda said,

    >音楽で生計を立てている身~
    その辺の「覚悟」「使命感」の度合いは、自分のようなホビーで行う者とは大いに違うのでしょうね。ホビー組の私も見習うべき部分だと思いました。

    >けっこういるんですよね
    音楽で得られる感覚を言語化(文章化)する事で得られる利便性は、感覚芸術である音楽の本質から乖離する危険性と表裏一体ですから、発言者はある種の慎み(+責任)を持つべきだと私は思います。でも無責任な文章は(匿名性の高いネットでは特に)溢れてますから、受け取る側にも見極めというか見切りが必要であると言えるでしょうね。

  4. Yuki said,

    >tsuddaさん

    趣味でやっている人でも、気軽に楽しんでいる人から、プロ並みに取り組んでいる人まで、様々ですよね。自分のペースで楽しむのがよいのではないでしょうか。私もハーモニカは趣味なのですが、最近は本職のピアノよりも練習する日もあります (笑)。

    自分でろくな演奏ができないのに教えている教師や、教える立場になったとたんに練習をしない向上心のない教師、間違ったテクニックを平気で教えている教師などを多く見てきたので、そういう意味で 「けっこういる」 と書きました。

    文章にするという面では、言論の自由というか、誰でも自分の思うこと、感じることを書く権利はあると思います。例えば、批評家なんかはそれが仕事なわけですが、2千人が同じコンサートに行ったら2千通りの感じ方が生まれるのが当たり前なので、自分の批評を読んで他の人がどう感じるかということまでの責任はとれないと思います。

    だから読み手は、「こういう批評を読んだけれど、私はそうは思わない」 とか、「この部分は同感だけれど、他の部分は同感できない」 とか、自分で決めていくのが筋なのではないでしょうか。誰かの書く批評 (又はその他の文章) というのは参考にはなるかもしれませんが、それはあくまで 「誰かの一意見」 でしかないので、読み手はそれに頼りきらずに、自分の意見は自分で責任を持って組み立てて、自分自身で最終決断を下すべきだと私は思います。
    私が生演奏を重要視するのは、「自分の目と耳で確かめたい」 という気持ちがあるというのも、ひとつの理由です。


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