2009/07/10

リトル・ウォルターの亡霊

Posted in ハーモニカ・プレイヤー tagged , , @ 2:29 pm by Yuki

少し前に、アダム・ガッソー (Adam Gussow) が、自身の運営するサイトで、とても興味深い書き込みをしていました。バラス・ラジャクマー (Bharath Rajakumar) という、カナダのハーピストについてのトピックです。YouTube などをまめにチェックしている方ならご存知だと思いますが、バラスはかなり完璧なリトル・ウォルターのコピーをすることで有名なプレイヤーです。こちらで音が聞けます。
Bharath and his Rhythm Four – Little Walter’s Tell me Mama

アダムは、バラスが素晴らしいプレイヤーだということを述べた上で、ある問題を提起しています。ブルース・ハーモニカを現代化  (modernize) することに常に心を砕いてきたアダムらしいトピックだと思います。彼は自分の意見をはっきりと述べていますが、それを決して読み手に強要しないオープンな内容です。この人は、大学で英語の教授をしたり、本を出したりしているだけあって、いつも素晴らしい文章を書きます。リズムがあって、明快で、読み手をぞくぞくさせるような、美しい文章です。私がした下手な訳だけではなくて、原文も読むことをぜひぜひお勧めします。
Modern Blues Harmonica

アダムの文章が素晴らしいので、今日は私自身の意見は書かずにおこうと思います。
皆さんはどう思われますか?

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反駁を恐れずに、ここに明記する。地球上の全てのハーモニカ・プレイヤーの中で、バラス (ケベック州モントリオール在住) は、完璧な、ぞっとさせるような、非の打ち所ないリトル・ウォルターのサウンドを作り出す数人のうちの一人である。そのサウンドの完璧さは、リック、フレージング、全ての方面においてであるが、特にその機材 (小さなアンプだと思う。賭けてもいい。) は、リトル・ウォルターのレコーディングのほとんど全てのニュアンスを再現させることを可能にしている。

これは中途半端な仕事ではない。この男の夢は、リトル・ウォルターを獲得すること、複製すること、リトル・ウォルターを - 彼の音を、スタイルを、幅広いアプローチを - 生き返らせることだったに違いない。

君はこれについてどう思うだろうか?これは偉大なことだろうか?必要とされたことだろうか?それとも、彼は自分自身を - 彼のオリジナリティを、それがどういうものであれ、「バラス・サウンド」 と呼ばれるべきものを - いけにえにしたのだろうか?完全に忠実な再生という名の十字架の上で。

君たちはたぶん、僕がどう思っているかを知っているだろう。でもやはり言っておこうと思う。僕は、彼はブルースハープというものを制御する道のりを、ちょうど半分まで来ただろうと思う。それも、とても素晴らしいやり方で。そして僕は、彼がそこで止まることを自ら選んだのだろうとも思う。もし彼がこれより先に進まないのならば - というのは、リトル・ウォルターの亡霊がとり憑くことをよしとせず、払い除けることをしないのならば、ということだけれど - 彼は忘れ去られる運命にあるだろう。素晴らしいイミテーターであることよりも悪いことはたくさんある。彼は全く素晴らしいリトル・ウォルターのイミテーターだ。最高のイミテーターかもしれない。間違いなく最高のイミテーターの一人だろう。しかし、僕は - まだ - 彼がどんなクリエイティブなミュージシャンであるかということについては、何も知らないままだ。

もし僕が 「ジェイソン・リッチ・サウンド」 というものを理解したいと思ったら、僕にはそれがどういうものであるかということの考えが幾分ある。「ソニー・テリー・サウンド」 や 「リトル・ウォルター・サウンド」 についてならば、僕は間違いなくそれがどういうものかを知っている。

「バラス・サウンド」 はどういうものなのだろう?それとも僕はバラスのことなど忘れて、ただリトル・ウォルターを聞いていればよいのだろうか?

あるいは、バラスがいかにに完璧にリトル・ウォルターを習得したかということを考えたら、僕はリトル・ウォルターのことも忘れるべきなのだろうか?そして、ブルースハープの伝統の中の、どこか他のところを見るべきなのだろうか?

僕は、若き日のリトル・ウォルターが - バラスの年齢のリトル・ウォルターが - 半世紀前のブルース・ハーモニカ・スタイルへ対するバラスの忠実さを目にしたとしたら、 極めて奇怪だと感じただろうと確信している。1950年代初期のシカゴでは、そんなふうには事は運ばなかった。その時代では、エキサイティングな新しいサウンドを作り出すことが全てだった。それこそが、大勢のミュージシャンに抜きん出る手段だったんだ。ぐつぐつと煮えたぎる蟹鍋の中から這い上がって生きのびるためには、そうするしかなかった。当時は、ブルースは常に再発明され続けていて、リトル・ウォルターもジョン・リー・ウィリアムソンやブルーバード・サウンドのスタイルをマディとの初期のセッションで使っていた。けれど、彼がアンプを使い始めた瞬間・・・他のプレイヤーにはない強みを彼は見せたんだ。

あるいは、もしかしたら、僕は完全に間違っているのかもしれない。なぜ僕は、「ブルースを新しくする」 ということにそんなに執着しなければならないのだろう?リトル・ウォルターが50年代にそうしていたからという、ただそれだけの理由で。もしかしたら僕は、僕自身ののやり方で、バラスと同じくらいのクローンなのかもしれない。リトル・ウォルターの哲学的クローンだ。伝統を保持するだけではなく、新しくすること、新しいサウンドを見つけること、楽器を現代化させることに対して僕が感じているストレスは、もしかしたら見当違いなことなのかもしれない。ブルース・ハーモニカの世界と文明には、愛のある、忍耐強い、鍛練された、私心のないアーキビストが必要なのかもしれない。古典の価値を認め、現在のステージで鮮やかに蘇らせることによって、それらの音楽を存続させる手助けをするプレイヤーが。バラスのアプローチは、一流のヴァイオリニストが見せる、クラシック音楽の伝統的なアプローチと同じものなのかもしれない。リトル・ウォルターのレコーディングは、レパートリーであり、楽譜であり、バラスはその楽譜をリアルタイムで鮮やかに蘇らせるのだ。私達にはそれが必要なのかもしれない。

答えは君が見つけてくれ。