2011/11/18

そこで語られるべきこと

Posted in ハーモニカ・プレイヤー, ハーモニカ以外 tagged @ 12:41 pm by Yuki

今日はちょっと愚痴です。音楽の話ではありますが、クラシックの話ですし(ブルースに共通する点もあるとは思いますが。)、仕事の愚痴なので、お暇な方だけ読んでください。

数ヶ月前からレッスンをしている生徒さんがいます。60代後半の年配の方で、クラシック音楽を長年愛好してピアノを弾いてきたアマチュア・ピアニストの方なのですが、この生徒さんに私はちょっと困っています。最初のレッスンから、「この人とは音楽に求めるものが根本的に違うのかも」と思い始め、更にレッスンを重ねた今、「この根本的な違いの溝は、どんなにレッスンを続けても埋められるものではないのかもしれない」と、ちょっと絶望的な気持ちになっています。

「この曲は簡単」とか、「この曲は難しい」とか、とにかくやたらと難易度にこだわる人で、それはもちろん自分の力量や曲のレベルを把握する上で大切なことではあるのですが、問題は彼の言う難易度の基準が、「全ての音を間違わずに弾けるかどうか」のみによることです。音色や細かい表現に対するこだわりは全くないし、作曲者の意図や音楽的な深さや難しさについては、その存在を理解すらしていない。ハーモニカで例えると、リトル・ウォルターの曲を、音を全てつらつらと並べて吹いて、「この曲は簡単だ」と言うようなものです。ハーモニカを真剣に学んでいる方ならよくわかってもらえると思うのですが、リトル・ウォルターのあの細かい表現力を学ぶのは、たぶん一生かかっても無理と思えるほど難しいですよね。この生徒さんは、そういうところを全くわかっていない。

「全ての音を間違わずに弾く」というのは、クラシック音楽の世界(特に現代の)では確かに大切とされていることですし、それを達成することに喜びを感じるというのはわからないでもありません。でも音を間違わずに弾きたいと思う理由は、「作曲者の意図や自分の表現したいことを正確に伝えたいから」というところにあるべきで、「間違わないこと」が自体が目的となってしまうのは、私は、やはりそれはちょっと違うんじゃないかと思うわけです。

最初のレッスンからずっと、私が彼に伝えたいと思っていたのはそういうことでした。音をただ並べられるようになったからといって、その曲が簡単だということにはならないこと。シンプルな曲でも、深い解釈と細部に対するこだわりを持って弾くのは、時には非常に難しいのだということ。この音にはどういう意味があるのか、なぜここでこの和音なのか、このフレーズはどういう意味なのか、作曲者は何を思って書き自分はそれをどう表現したいのか、そういった思いをめぐらせて音を練って行くこと。曲(作曲者のストーリー)を通して自分自身のストーリーを語ること。そういったことに演奏する本当の喜びを見出して行くこと。ピアノという楽器には、多彩な音色と表現力の可能性が潜んでいること・・・

そういうことを何とかわかってもらえたらと、毎回、辛抱強くそういう話をし続けて来ました。でも何度もレッスンを重ねて来た結果、「もしかしたらこういうことは、理解できない人には一生理解できないことなのかもしれない」と思い始めています。音楽を心で感じることや、音楽にロマンを見出すこと、表現したいという思いなどは、その人の中にもともとあるもの、もしくは本人が人生の中で培って来るものであり、誰かが教えられることではないのかもしれない、と。教師はあれこれと手段を使って道を示すことはできるけれど、それを感じ取る生徒の感性や人間性の深さまでは変えられることができないのではないか、と。

例えば、別の年配の生徒さんは、数年前まで音楽を真剣に聴いたこともないほどの全くの初心者でした。始めてまだ数年なのでテクニック的にはまだまだですが、こちらの生徒さんは私がちょっとそういう話をすると、すぐに音が変わります。「ここのアクセントが付いたコードは、ただガツンとひっぱたくのではなくて、もうちょっと音楽的な意味を持たせて弾いて下さい。ほら、このコードの前のコードは減三和音(ディミニッシュ・コード)ですよね。ここは雲がやって来て突然陰りが出る感じ。でも次のこのコードは主和音(トニック)です。陰りが消えて光が戻って来るんです。ホーム(トニック)に戻って来た喜びを持って弾いて下さい」というようなことを言うと、即座に理解してそれを表現してくれます。テクニックがこれからなので、その表現力にもちろん限りはありますが、彼が表現したいことはよく伝わって来ます。音楽に取り組んでまだ間もない彼がそれを成し得ているのは、音楽を深いところで理解することへの感心や、自分の中にあるものを表現したいという気持ち、そして想像力や感性があるからだと思います。

件の問題の生徒さんには、それが絶望的に欠けている。それを決定的に感じたのは、先週のレッスン。まず、ホロヴィッツのCDについて話をした時のこと。このアルバムは、82歳のホロヴィッツが61年振りに祖国へ戻って演奏した際のライブ録音。「ソヴィエトには帰りたくない」 と口癖のように言っていたホロヴィッツが、これまでのわだかまりを捨てて祖国で音楽を奏でる。そしてそれを熱く受け入れる聴衆。私にとっては、鳥肌と涙なしには聴けない、大切なアルバム。このCDを、数週間前に私は彼に貸しました。「音楽において一番大切なものが伝わって来る素晴らしいアルバムだから、ぜひ聴いて下さい。弾き手と聴き手の対話が手に取るように感じられるから。このアルバムで私達が聴くのは音楽だけではなくて、ホロヴィッツの人生そのものだから。若い頃と違ってミスもあるけど、そんなこと以上に大切なものをホロヴィッツは表現しているから。『トロイメライ』のような簡単な曲でさえ、彼がどれほどの深みと音色の多彩さを持って弾いているか、ぜひ聴いて」と言って。そしてこのアルバムを聴いた生徒さんの感想は、「ホロヴィッツはきれいな音で弾いているけれど、ミスが多すぎる」という一言でした。「ああ、この人は私がこれまで言ってきたことを何一つ理解していなかったんだな」と、私はこの時確信したのであります。

そして、その私の確信を更に決定的にしたのは、その日のレッスンでベートーヴェンの最後のソナタに取り組んだ時のこと。ベートーヴェンの最後のソナタ。この曲は非常に深くて難しい大曲です。一通り彼の演奏を聴いて、「お願いだから、ベートーヴェンが考えに考え抜いて書いたその音を、そんなに軽々しく、何の意味もなく弾かないで」と思った私は、「この曲は、テクニック的にも難しいですが、それ以上に、音楽的に意味を持たせてまとめるのが非常に難しいですね」と言いました。するとその生徒さんは、「この曲に持たせるべき意味なんてあるんですか?ただの愉快で陽気なサウンドの曲ではないですか?」と言い放ったのです。この言葉にはもう、落胆を通り越して怒りさえ覚えてしまいました。ベートーヴェンのソナタ、しかも最後のソナタを「ただの愉快で陽気な曲」と言ってのけるとは、ある意味すごいことです。浅い。絶望的に浅すぎる。相当の浅さでなくてはこんな言葉は出てきません。ベートーヴェンの苦悩は?怒りは?悲しみは?苛立ちは?そして彼が心から得ることを望んでいた心の平安は?この天国的な終楽章の意味は?そういうことを何も感じられないのだったら、そこで語られるべきことがないのだったら、私は音楽を演奏する意味なんてないのではないかと思います。

しかし、この生徒さんのような人は実はそれほど珍しくありません。音大時代のクラスメイトにも、ホロヴィッツのCDを聴いて全く同じことを言った人がいます。数年前、ポリーニのコンサートで私の隣に座った二人組の男性は、ポリーニがちょっとしたミスタッチをする度にちらちらと目を合わせていました。クラシック・ファンのブログでも、このピアニストのコンサートはミスが多くてがっかりだった、あのピアニストはミスがなくて完璧だった、ということばかり書かれたものを少なからず見かけます。ミスがないに越したことはない。でもそれが演奏に求める唯一のものだとしたら、それはあまりにも悲しすぎる。もっと違うところに集中して聴いていたら、ちょっとしたミスなんてそれほど気にならないものなのに。でもそういう人たちには、ホロヴィッツのあたたかく深く、色彩感覚にあふれ、構成力と説得力のあるこういう演奏の偉大さはわからないのだろうと思います。件の生徒さんなら、「この曲は簡単」と言って片づけられてしまうのでしょう。

Horowitz plays Schumann Traumerei in Moscow

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11件のコメント »

  1. eri said,

    こんにちは。初めてコメント致します。
    いつもとても楽しみに拝見しております。
    私も昔学生の頃ずっとピアノを習っていました。
    が、今になって思えばその頃はとにかく難しい曲を弾きたくて、音色や細かい表現などあまり気にせず弾いてしまっていた気がします。
    それがよくわかったのは近年ブルースハープを始めてからです。
    ブルースハープはそれこそ音色とニュアンスが何より大事な楽器なので、いかにいい音をだせるか、日々考えています。
    ピアノの時はそんなこと考えなかった。。。。
    とても後悔しています。
    私はブルースという音楽、ハーモニカという楽器に出会ってから音楽に対する考えが随分変わった気がします。
    その生徒さんももしかしたらいつか気づく日がくるかも。。。

    • Yuki said,

      >eriさん

      こんにちは。コメントありがとうございます!

      私もブルースを弾き始めてから変わったことは、かなりたくさんあります。

      クラシック・ピアノについては、曲の解釈など、深いところまで突っ込んだレッスンをしてくれる先生が非常に稀であるという事実もあると思います。

      音楽は歳を重ねることによって理解できるようになる部分も多いので、まだ若い方なら、「これから色々なことを経験して深みが出てくるかもしれない」と思うこともできるのですが、この生徒さんはけっこうなお歳で、リスナーとしても演奏者としてもかなり長いキャリアのある方なので、音楽に対する姿勢を今から根本的に変えるのは難しいのかなあとちょっと弱気になっています。でもあきらめたわけではありません。しつこくレッスンして行くつもりです!

  2. おぎてつ said,

    以前、本屋でロバートジョンソンの曲を難易度で分けて、2部構成で売っているのを見たことがあります。興味深いといえば興味深いのですが、何となく味気ないですね。受験の時の各校の難易度の比較表を思い出してしまいますよ。

    でも、偏差値教育を受け、マークシート方式で教育を受けて来た僕たちは、結構、この様に正確さや難易度にこだわる人が多いでしょうね。高校時代に勉強の出来る友人に「どうして東大に入りたいんだい?」っと聞いたら、しばらくして「だって、一番難関だろう…」という答えが返って来て、驚いたことを思い出します。でも、分りやすい理由ではある。

    昨日はロバートジョンソンの曲を全部聞き流してみたのですが、彼にもミスがある。けど、そんなところに意識を停めないで、曲全体を聴いていると恐ろしく<生>で、手を止めて聞き入っちゃう時があるんですよね。一発録音の環境でなんであんなに気持ちが込められたんだろう、と…。

    この生徒さんのようなアプローチは機械測定的ですが、一方、生きている音を生命として捉えるやり方もあるはず。

    ところで、この生徒さんはベートベンの伝記などを調べたことがあるのかしら? その作曲者の生き様も、演奏者は知る必要があるかもしれませんね。

    おぎてつ

  3. Yuki said,

    >オギさん

    こんにちは。ロバジョン聴きながら書いています(笑)。

    表現したいけれどできないというのならこちらも打つ手は色々とあるのですが、どうも興味自体を持ってもらえないみたいなんですよね・・・。

    リストがある詩をもとにして作曲した曲をレッスンした時に、「曲想を得るために詩を読んでみましょう」と提案したのですが、「いや、僕は詩はさっぱりわからないから」と言って拒否されました。どうしたらいいんですかー?オギさん助けてー。

    芸術家肌の人とそうでない人というのは、性格的にありますよね。どんなに教える側ががんばっても、そういうのだけは変えられないのかなあと思ったりします。

  4. Namy said,

    Yukiさん、久しぶりにコメント書かせていただきます。
    私もピアノを教えているのでお気持ちよ〜くわかります。
    音楽(曲)に対する興味をもっていただけないのは悲しいですよね。
    彼の人生の中で辛かったこと、幸せだったことと照らし合わせて表現が出来る、または理解出来るようになるといいですね。
    でも長年同じ事の繰り返しでは凹んじゃいますね〜。

    以前日本で教えていたハーモニカ(複音ですが)の生徒さんが発表会で
    息子が小さかった頃によく歌ってあげた「七つの子」をメロディーだけアカペラで演奏しました。初心者だったので何のテクニックもありませんでしたが、彼女の演奏が一番心に残り、お客さんの涙を誘うものになりました。

    なんというか、そういう目に見えないものを感じるのは人によって違うんでしょうね。その生徒さん、自然の風景を見たり絵画を鑑賞したりする時はどのように感じるのでしょうか?音楽もそれらと同じで数字で表せないですもんね。
    お互い頑張りましょう!

    • Yuki said,

      >Namyさん

      こんにちは。コメントありがとうございます。

      音楽を深いところで解釈するためにはやはり楽曲分析をする力も必要になってくるので、そういう面でも難しいなあと感じる事が多いです。アナリーゼを感性やセンス、人生経験や想像力と結びつけた演奏ができるようになってほしいというのが私の願いなのですが、まあなかな大変ですね。ぼちぼちがんばります。

  5. col said,

    はじめまして
    レッスン、大変そうですね
    昔、軽音楽部の先輩に「そういうのは音を拾っただけなんだよ、そこから何度も繰り返してはじめてノリが出てくるんだ」という様なことを言われたことがあります
    今でも覚えているので響いたんでしょうね
    難易度の高いジャンル?では「ノリ」という表現が使い難いと思いますが
    肝ですよね
    またお邪魔します

    • Yuki said,

      >colさん

      はじめまして、コメントありがとうございます!

      私はクラシックでも「グルーヴ」とか「フィーリング」とかいう言葉を使っちゃいます。

      音楽ってジャンルは色々ありますが、「肝心なのは音が全て弾けるようになってから」という点はどれも同じような気がしますね。

  6. 南ミシガン通り said,

    今晩は。2度目のレスです。楽しいブログを発見して喜んでおります。これからも楽しみに見させていただきます。

    さて、表記の件ですが、その人はクラシック音楽を長年愛好してピアノを弾いてきたアマチュア・ピアニストの方との事ですが何かのオーケストラとかに参加していないのでしょうか?普通ならそこで指揮者の人やらに同じことを言われていると思うし、レベルの高いところなら使われないと思います。
    まあ、いずれにしても50過ぎたおっさんの私に言わせるとその人はもう無理ですね。全ての音を間違わずに弾けるということに価値を見いだす、ということがもう彼の人生に組み込まれており、全ての音を間違わずに自分が弾ける曲のレパートリーを増やすコレクターかもしれません。それが彼の人生の重要なファクターだとしたらそれを貫きますし、邪魔する物は排除します。そういう人生になっちゃってます。
    また下手に曲の解釈に目覚めてもまた違う方向に行っちゃうような気がします。まともに相手にしていたらストレスがたまるばかりですよ。
    私はピアノは弾けませんが似たような人をたくさん知っています。
    いっその事、スタンスを変えて作曲をやらせてみたら?

    • Yuki said,

      >南ミシガン通りさん

      コメントありがとうございます。

      この生徒さんは趣味でピアノを愛好している方で、演奏活動などをしているわけではありません。オケは基本管弦楽団なので、ピアノが入ることは稀なんですよね。協奏曲というのもありますが、これは本当に力がないと弾けないので、普通のピアニストはオケと共演する機会はまずありません。

      ブログでは愚痴ばかり書いてしまいましたが、この生徒さんは良いところもたくさんありますし、レッスンをしてから変わってきた部分もあるんです(だから余計にもどかしいのですが)。あきらめてしまうのはあまりに悲しいですし、お金をいただいて教えているからには誠心誠意できるだけのことをしたいと思っています。

      • 南ミシガン通り said,

        クラシックってプロとアマの境界線がきついんですね。
        でも頑張ってくださね♪
        楽しくやりましょう(^O^)v


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