2012/10/07

Nick Curran – R.I.P.

Posted in ハーモニカ以外 tagged @ 11:33 am by Yuki

ニック・カラン、亡くなったそうですね。

最近は R.I.P の記事は書かないことにしていたのですが、このニュースはあまりにもショックだったので、書かずにいられませんでした。

ずっと健康の回復と復帰を祈っていただけに、ショックです。

数年前、キム・ウィルソンの横でギターを弾いていた彼は、本当にかっこよかった。

ソロのステージも見たかったのに。

もっともっと、彼のギターが聞きたかったのに。

35歳なんて、早過ぎる。

残念としか言い様がありません。

悲しくなってしまうので、私は今はまだニック・カランの曲は聞けないのですが、聞ける方はぜひぜひ聞いてください。最高にかっこいいです。

>Nick Curran – Just Love Me Baby

R.I.P.

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2012/05/14

ブルースのグラフィティ

Posted in ハーモニカ・プレイヤー, ハーモニカ以外 tagged , @ 10:45 pm by Yuki

私の住んでいる街はストリート・アートが盛んで、街のあちらこちらにグラフィティがあります。

例えばこんな感じで。

そしてその中に、こんなのがあります。

夜だったので、写真がちょっと暗いですけど。

グラフィティ・アートでブルースを題材にしたものってあまり見ないので、初めてこれを見た時は新鮮でした。

>Sonny Terry & Brownie McGhee – Walk on

2012/03/14

On the Sunny Side of the Street

Posted in ハーモニカ以外 tagged @ 1:59 am by Yuki

日曜日はものすごく良いお天気で、夫婦でマウンテンバイクに乗ってお出かけしました。太陽の光を浴びて、緑の匂いを嗅ぎながら、森を抜け、原っぱを駆け抜け、くまのプーさん (ディズニーのではなく原作の) が出てきそうな小川のほとりを走り、満開の桜の下を通り、エイヴォン川に沿って走る午後。先を行く夫の後ろ姿を眺めながら自転車を漕いでいると、幸せで幸せで、なんだか泣けてきてしまったので困りました。私はここ数年 (よく覚えていないけれど、たぶん最初の夫を亡くしてからだと思うのですが) 最高に幸せだと感じると、悲しくなってしまうことがあります。この幸せな時もいつか終わってしまうんだなあとか、この美しい人も (私にとってはということですけど、もちろん。) いつかこの世から消えてしまう日が来るんだなあとか、いつかお別れをしなくちゃいけない日が来るんだよなあ、などと思うとたまらなく悲しくなってしまうのです。でも、その悲しみを感じることによって、幸せが何倍にも膨れ上がるから不思議です。真の幸せは、悲しみを持つことによってのみ感じられるものなのかもしれない、などと思います。

この莫大な宇宙の営みの中では、私たちの存在は本当にちっぽけなもの。生まれて、生きて、死んで行くだけ。あと100年もしたら、私のことなんて覚えている人はたぶんほとんどいなくなってしまう。私が見た美しい風景も、太陽の光の中で子供みたいにはしゃいでいる夫の姿も、私たちが共有した幸せな思い出も、すべて消えてなくなってしまう。でも、それでいいんです。それが宇宙の法則であり、命はやはり、限りがあるからこそ尊く美しいものだと思います。

今日の一曲はそんな気持ちにぴったりな、”On the Sunny Side of the Street”。私にとってこの曲は、人生の幸せの真髄を表すような曲です。

コートと帽子を持って
心配事なんか戸口に残して
ただ足を通りの陽の当たる側に向けてごらん

パタパタという音が聞こえるよ
その嬉しそうな音は君の足音だね
人生って素敵に成り得るんだよ
通りの陽の当たる側ならね

ブルースを抱えて、道の日陰の側を歩いて来た
でももう怖くないんだ
陽の当たる側に渡って来たから

1セントも持っていなくても
ロックフェラーみたいにお金持ちになれる
だって、足元に金の粉が散らばっているんだ
通りの陽の当たる側にはね

サッチモやビリー・ホリデーの録音も大好きですが、私が一番好きなのは、やはりジェームス・ブッカーの演奏です。この曲はブッカーの定番でたくさんバージョンがあるのですが、今日は最後に歌も入っているこちら。”New Orleans Piano Wizard: Live!” というアルバムに入っているものです。

>James Booker – On the Sunny Side of the Street

歌は最後にちょっとだけですけど、ピアノが必要なことを全て語っています。この人のピアノはどうしてこんなに心に響くのでしょうか。それはやはり、人生における幸せや悲しみをよく知っていた人だからなのではないかと思います。

2012/03/10

Dexys Midnight Runners

Posted in ハーモニカ以外 tagged @ 3:40 pm by Yuki

先日、近所の生協 (co-op) に行ったら、店内で Dexys Midnight Runners の “Geno” がかかっていました。生協で Dexys Midnight Runners ですよ~。さすがイギリス!!と感動していたら、そばにいた中年の男性が、嬉しそうに音楽に合わせて曲を口ずさんでいて、更に感動。生協で Dexys Midnight Runners。それに合わせて歌うおじさん。これですよ、これ。私が 「イギリスだなあ」 と感じるのは、アフタヌーンティーなどではなくて (普通のイギリス人はあんな気取ったお茶はしない。)、こういう瞬間です。

Dexy’s Midnight Runners – Geno

私は70~80代のブリット・ロック/ポップが好きだった時期があって、Dexys Midnight Runners もその中のひとつでした。グラム・ロック、パンク、ニュー・ウェーブ、2トーン・・・ライフスタイルやファッションと密接な関係を持つ音楽。あの頃のイギリスは本当にかっこよかった。イギリスって、フランス人のような研ぎ澄まされたセンスみたいなのはないですが、こういう独特の感覚はやはりかっこいいなあと思わずにはいわれません。

“Geno” が入ったアルバム “Searching for the Young Soul Rebels” は、タイトルも最高に格好良かったし、ジャケットも良かった。

今日はぜんぜんブルースの話ではありませんでした、すみません。最後に、このアルバムからもう一曲!

Dexys Midnight Runners -There, there my dear

イギリスのこういった音楽のほとんどは、ワーキング・クラス (労働者階級) 出身のミュージシャン達によって作られたもので、イギリスに階級社会というものが根強く残っていなかったら、こういう音楽も生まれなかったんだろうなあ、などと思います。イギリスって本当におもしろい。

2012/02/27

ニック・カラン最高!

Posted in ハーモニカ以外 tagged @ 5:11 pm by Yuki

最近はまっているのこのクリップ。音色、ビハインド・ザ・ビートなフィーリング、すごいです。

>Nick Curran – Just Love Me Baby

先日も書きましたが、ニック・カラン最高!

2012/02/20

Bald Head

Posted in ハーモニカ以外 tagged @ 4:51 pm by Yuki

突然ですがみなさん、自分のパートナーの異性に対する好みをどれくらい把握していますか?

私は夫の女性の好みというのはよくわかりません。例えば映画なんかを観た後、「登場した女性の中で誰が一番好き?」 というようなアホな質問をしたとしますね。すると、夫の答えは私の予想とだいたい合ってはいるんですが・・・ですが、波風立てないように、私の賞賛を得られそうな女性を選んで言っているような気が、なんとなくするんですよね。「あんな女のどこがいいの!?ムキーッ!」 と言われない人をわざと選んでいるというか。まあ真相はわかりませんが。

それとは裏腹に、夫は私の好みの男性をズバズバ当ててきます。ライブなんかを観に行って、「あら、あのギタリスト、なかなか素敵じゃな~い?」 なんて思っていたりすると、すかさず横から、「かっこいいと思ってるでしょ」 などのつっこみが入ります。夫、すごい。私の好みすっかり把握。

しかしですね、そんな彼でも、たまに見落とすこともあります。例えば、ランディ・バミューデス (Randy Bermudes)。私がこれほど騒いでいるのに、ランディはノーマーク。純粋にベースの演奏が好きなだけだと思っているみたいです。確かに演奏が良いから好きなんですが、そのセクシーさに惹かれる部分もあるのが事実。以前さんざん書いたのでここでは割愛しますが、彼がベースを弾いている様は最高にセクシー。チェックの半袖シャツがここまで似合う人もそうはいない (シャツフェチ)。

しかし夫は、サンダーバーズでは、ジョニー・モラーとか、ジェイ・モラーとかを疑っているみたいで、ランディはノーマーク。確かにジェイ・モラーなんかは、背が高くて髪が長くて大変いい男で私のタイプではあるのですが、セクシーさではランディがダントツ(死語?)。なのになんでノーマーク?こんなに好きなのに?

などと考えていて、思い出した会話がありました。「ねえねえ、もし自分が女だったとしたらさあ、キムとロッドのどっちの彼女になりたい?」 という、例によってかなりアホな質問を私がした時のこと (キムとロッドというのは、キム・ウィルソンとロッド・ピアッツァのことです、もちろん)。私はてっきりキムって答えると思っていたんです。何しろ、三度のご飯よりキムが大好きな人ですから。それが、ロッドだと言うではありませんか。「ええ!?なんで!?キムのことあんなに愛してるくせに!?」 という私の問い詰めに夫はなんと、なんと・・・

「ハゲの男を好きになるとは思わないんだよね」

という暴言!!

なんてことを言うのでしょうか、この人は。自分だっていつか剥げるかもしれないのに!?まあ、「もし自分が女だったとしたら」 というアホな仮定の上の話ですから許されるのかもしれませんけれども。

そんなわけで、ランディはノーマーク。理由はたぶん、ハゲだから。ふっ、まだまだ甘いな、夫。確かに私は髪の長い男性に惹かれることが多いのですが、髪が長けりゃ誰でも良いかというとそんなことはもちろんなくて、逆に髪の毛がなくても素敵だと感じることもあります。最近いいなあと思ったのは、ンタレ・ムワイン (Ntare Mwine) という俳優さん。

例の Treme というニューオリンズが舞台のドラマに出ていて、ずっといいなあと思っていたんですけどね、第2シーズンの最終話で話が急展開して、彼のセクシーさが爆発いたしました。要は女性とのからみがあったわけですが、目線や話し方や仕草がセクシーなんですよ。相手の女性を見つめたり抱きしめたりする仕草に、「愛しい」 という思いがこぼれ出てしまう、そんな感じです。特に過激なシーンがあったわけではないのですが、演じる人の作り出す雰囲気が、露骨なベッドシーンなどよりもずっと見ている側をどきどきさせることってありますね。

ところで、日本では頭を剃った人のことを 「スキンヘッド」 と言ったりしますが、英語圏でスキンヘッドと言うと、最近ではネオナチや白人至上主義などの人種差別的な思想を持った人のことを表すことがほとんどで、ただ単に頭を剃っている人のことはスキンヘッドは呼ばないので、注意が必要です。

本日の一曲は、プロフェッサー・ロングヘアーのこれ。
Professor Longhair, Bald Head

2012/01/29

King Biscuit Time のレアな映像

Posted in ハーモニカ・プレイヤー, ハーモニカ以外 tagged , , @ 11:39 pm by Yuki

最近、アダム・ガッソーのフォーラムで、サニー・ボーイ2世とロバート・ロックウッド・ジュニアが演奏している貴重な映像が話題となっていました。音なしの映像なのですが、これがちょっと感動的だったので、まだ観ていない方のために紹介します。

YouTube の解説によると、このホーム・ビデオは、食料店のオーナーであり、キング・ビスケット・タイム(サニー・ボーイ2世が演奏していたことで有名なアメリカの長寿ラジオ番組)のスポンサーであった、マックス・ムーアさんの所持品だそうです。ライス・ミラーに「サニー・ボーイ」という名前を使うことを提案したのは、このムーアさんだったという話もありますね。

King Biscuit Time (1942, 1952)

前半は、1942年頃の映像だそうです。「キングビスケット小麦粉」の袋を前にして演奏するサニー・ボーイ2世とロバート・ロックウッド・ジュニア。二人とも若い!後半は1952年あたりの映像。音がないのが何とも残念なのですが、それでも若い二人の演奏する様子や、食料店の前でたむろする人々、キング・ビスケット・タイムのミニバスなど、当時の雰囲気が伝わってくる貴重な映像だと思います。写真で見るのとはやはりインパクの大きさが違って、私はやけに感動いたしました。

2011/12/06

Jaco Pastorius – The Chicken

Posted in ハーモニカ以外 tagged @ 12:07 am by Yuki

先日、とあるローカルなイベントで、アコースティック・ベースとドラムという、なんともかっこいいデュオの演奏を見ました。ハーモニックスを多用したジャコ・パストリアス並の(と言うのはやはり大袈裟ですが、でも上手かった。)ベースと、それにからむドラム。インストものが多かったのですが、数曲ベースの男の子が歌ったりもしていました。演奏した曲のほとんどがオリジナルというのにも感心。

そんなわけで、帰って来てジャコが無性に聴きたくなったので、今日はびきりにかっこいいこの曲。皆さんソロもかっこよくて最高。

>Jaco Pastorius-“The Chicken”

ベースとギターとドラムだけで演奏しているこのクリップも良いです。小編成なのでベースのパートがわかりやすいのはもちろん、各プレイヤー同士のからみもわかりやすくておもしろいです。ジャコのソロもあります!

>JACO PASTORIUS- The Chicken- Studio Live&John Scofiel

それにしてもなぜ私は、かっこいいベースを聴くとこうも興奮してしまうのでしょうか。以前にも書いた気がしますが、来世は絶対にベーシストになりたい。

2011/11/18

そこで語られるべきこと

Posted in ハーモニカ・プレイヤー, ハーモニカ以外 tagged @ 12:41 pm by Yuki

今日はちょっと愚痴です。音楽の話ではありますが、クラシックの話ですし(ブルースに共通する点もあるとは思いますが。)、仕事の愚痴なので、お暇な方だけ読んでください。

数ヶ月前からレッスンをしている生徒さんがいます。60代後半の年配の方で、クラシック音楽を長年愛好してピアノを弾いてきたアマチュア・ピアニストの方なのですが、この生徒さんに私はちょっと困っています。最初のレッスンから、「この人とは音楽に求めるものが根本的に違うのかも」と思い始め、更にレッスンを重ねた今、「この根本的な違いの溝は、どんなにレッスンを続けても埋められるものではないのかもしれない」と、ちょっと絶望的な気持ちになっています。

「この曲は簡単」とか、「この曲は難しい」とか、とにかくやたらと難易度にこだわる人で、それはもちろん自分の力量や曲のレベルを把握する上で大切なことではあるのですが、問題は彼の言う難易度の基準が、「全ての音を間違わずに弾けるかどうか」のみによることです。音色や細かい表現に対するこだわりは全くないし、作曲者の意図や音楽的な深さや難しさについては、その存在を理解すらしていない。ハーモニカで例えると、リトル・ウォルターの曲を、音を全てつらつらと並べて吹いて、「この曲は簡単だ」と言うようなものです。ハーモニカを真剣に学んでいる方ならよくわかってもらえると思うのですが、リトル・ウォルターのあの細かい表現力を学ぶのは、たぶん一生かかっても無理と思えるほど難しいですよね。この生徒さんは、そういうところを全くわかっていない。

「全ての音を間違わずに弾く」というのは、クラシック音楽の世界(特に現代の)では確かに大切とされていることですし、それを達成することに喜びを感じるというのはわからないでもありません。でも音を間違わずに弾きたいと思う理由は、「作曲者の意図や自分の表現したいことを正確に伝えたいから」というところにあるべきで、「間違わないこと」が自体が目的となってしまうのは、私は、やはりそれはちょっと違うんじゃないかと思うわけです。

最初のレッスンからずっと、私が彼に伝えたいと思っていたのはそういうことでした。音をただ並べられるようになったからといって、その曲が簡単だということにはならないこと。シンプルな曲でも、深い解釈と細部に対するこだわりを持って弾くのは、時には非常に難しいのだということ。この音にはどういう意味があるのか、なぜここでこの和音なのか、このフレーズはどういう意味なのか、作曲者は何を思って書き自分はそれをどう表現したいのか、そういった思いをめぐらせて音を練って行くこと。曲(作曲者のストーリー)を通して自分自身のストーリーを語ること。そういったことに演奏する本当の喜びを見出して行くこと。ピアノという楽器には、多彩な音色と表現力の可能性が潜んでいること・・・

そういうことを何とかわかってもらえたらと、毎回、辛抱強くそういう話をし続けて来ました。でも何度もレッスンを重ねて来た結果、「もしかしたらこういうことは、理解できない人には一生理解できないことなのかもしれない」と思い始めています。音楽を心で感じることや、音楽にロマンを見出すこと、表現したいという思いなどは、その人の中にもともとあるもの、もしくは本人が人生の中で培って来るものであり、誰かが教えられることではないのかもしれない、と。教師はあれこれと手段を使って道を示すことはできるけれど、それを感じ取る生徒の感性や人間性の深さまでは変えられることができないのではないか、と。

例えば、別の年配の生徒さんは、数年前まで音楽を真剣に聴いたこともないほどの全くの初心者でした。始めてまだ数年なのでテクニック的にはまだまだですが、こちらの生徒さんは私がちょっとそういう話をすると、すぐに音が変わります。「ここのアクセントが付いたコードは、ただガツンとひっぱたくのではなくて、もうちょっと音楽的な意味を持たせて弾いて下さい。ほら、このコードの前のコードは減三和音(ディミニッシュ・コード)ですよね。ここは雲がやって来て突然陰りが出る感じ。でも次のこのコードは主和音(トニック)です。陰りが消えて光が戻って来るんです。ホーム(トニック)に戻って来た喜びを持って弾いて下さい」というようなことを言うと、即座に理解してそれを表現してくれます。テクニックがこれからなので、その表現力にもちろん限りはありますが、彼が表現したいことはよく伝わって来ます。音楽に取り組んでまだ間もない彼がそれを成し得ているのは、音楽を深いところで理解することへの感心や、自分の中にあるものを表現したいという気持ち、そして想像力や感性があるからだと思います。

件の問題の生徒さんには、それが絶望的に欠けている。それを決定的に感じたのは、先週のレッスン。まず、ホロヴィッツのCDについて話をした時のこと。このアルバムは、82歳のホロヴィッツが61年振りに祖国へ戻って演奏した際のライブ録音。「ソヴィエトには帰りたくない」 と口癖のように言っていたホロヴィッツが、これまでのわだかまりを捨てて祖国で音楽を奏でる。そしてそれを熱く受け入れる聴衆。私にとっては、鳥肌と涙なしには聴けない、大切なアルバム。このCDを、数週間前に私は彼に貸しました。「音楽において一番大切なものが伝わって来る素晴らしいアルバムだから、ぜひ聴いて下さい。弾き手と聴き手の対話が手に取るように感じられるから。このアルバムで私達が聴くのは音楽だけではなくて、ホロヴィッツの人生そのものだから。若い頃と違ってミスもあるけど、そんなこと以上に大切なものをホロヴィッツは表現しているから。『トロイメライ』のような簡単な曲でさえ、彼がどれほどの深みと音色の多彩さを持って弾いているか、ぜひ聴いて」と言って。そしてこのアルバムを聴いた生徒さんの感想は、「ホロヴィッツはきれいな音で弾いているけれど、ミスが多すぎる」という一言でした。「ああ、この人は私がこれまで言ってきたことを何一つ理解していなかったんだな」と、私はこの時確信したのであります。

そして、その私の確信を更に決定的にしたのは、その日のレッスンでベートーヴェンの最後のソナタに取り組んだ時のこと。ベートーヴェンの最後のソナタ。この曲は非常に深くて難しい大曲です。一通り彼の演奏を聴いて、「お願いだから、ベートーヴェンが考えに考え抜いて書いたその音を、そんなに軽々しく、何の意味もなく弾かないで」と思った私は、「この曲は、テクニック的にも難しいですが、それ以上に、音楽的に意味を持たせてまとめるのが非常に難しいですね」と言いました。するとその生徒さんは、「この曲に持たせるべき意味なんてあるんですか?ただの愉快で陽気なサウンドの曲ではないですか?」と言い放ったのです。この言葉にはもう、落胆を通り越して怒りさえ覚えてしまいました。ベートーヴェンのソナタ、しかも最後のソナタを「ただの愉快で陽気な曲」と言ってのけるとは、ある意味すごいことです。浅い。絶望的に浅すぎる。相当の浅さでなくてはこんな言葉は出てきません。ベートーヴェンの苦悩は?怒りは?悲しみは?苛立ちは?そして彼が心から得ることを望んでいた心の平安は?この天国的な終楽章の意味は?そういうことを何も感じられないのだったら、そこで語られるべきことがないのだったら、私は音楽を演奏する意味なんてないのではないかと思います。

しかし、この生徒さんのような人は実はそれほど珍しくありません。音大時代のクラスメイトにも、ホロヴィッツのCDを聴いて全く同じことを言った人がいます。数年前、ポリーニのコンサートで私の隣に座った二人組の男性は、ポリーニがちょっとしたミスタッチをする度にちらちらと目を合わせていました。クラシック・ファンのブログでも、このピアニストのコンサートはミスが多くてがっかりだった、あのピアニストはミスがなくて完璧だった、ということばかり書かれたものを少なからず見かけます。ミスがないに越したことはない。でもそれが演奏に求める唯一のものだとしたら、それはあまりにも悲しすぎる。もっと違うところに集中して聴いていたら、ちょっとしたミスなんてそれほど気にならないものなのに。でもそういう人たちには、ホロヴィッツのあたたかく深く、色彩感覚にあふれ、構成力と説得力のあるこういう演奏の偉大さはわからないのだろうと思います。件の生徒さんなら、「この曲は簡単」と言って片づけられてしまうのでしょう。

Horowitz plays Schumann Traumerei in Moscow

2011/11/02

NHL Festival 2011 – その1 ・ Tommy Allen & Johnny Hewitt

Posted in ハーモニカ・プレイヤー, ハーモニカ以外 tagged , @ 12:27 am by Yuki

今年も NHL (National Harmonica League) のフェスティバルの季節がやって参りました。このフェスティバルのある週末の後は毎年、寝不足でふらふらになります。今もまだ疲れが取れていません。でもですね、やっぱり楽しかったです、ハーモニカおたくによる、ハーモニカおたくのための、ハーモニカのお祭り。毎年参加している人と会うのも楽し、数年ぶりに顔を合わせる人と久しぶりに話をするのも楽し、新しい知り合いができるのもまた楽し。そして、一流のミュージシャンと交流ができたり、新たにお気に入りのミュージシャンができるのもまたフェスティバルの楽しみです。

今回、すっかりまいってしまったのが、ジョニー・ヒューイットというイギリスのプレイヤー。名前だけは知っていましたが、演奏は聞いたことがなかったハーピストです。とにかくトーン(音色)が素晴らしいし、そして音楽的にもそのアプローチのセンスがものすごく良くて、かなり私好み。生で聞いた彼のダークで分厚いアンプリファイドのトーンは、デニス・グルンリング並と言っても過言ではない・・・というのはちょっと褒めすぎかな?でもとにかくそれほどすごかったんです。

ジョニーとデュオとして来ていたギタリストのトミー・アレンは、深夜にフェスティバルが終わった後も朝までホテルのバーでギターを弾き続けておりました。それをハーモニカおたく達が囲んで、ハープを吹いたり、一緒に歌ったり。私は踊りながらパーカッションに徹しました(ハーモニカもちょっと吹きましたが)。このフェスティバルは、こういうのがすごく楽しいんです。ブルースはもちろん、スティービー・ワンダーからブライアン・フェリー、はたまたブライアン・アダムス(これはたぶんちょっとふざけて。)まで、人間ジュークボックスと化していたトミー。すごいなあ。

ビデオだとどうしても生のインパクトは伝わりませんが、なかなか良いクリップが YouTube にあったので紹介します。二人とも歌も上手い。どちらもそれぞれ、バンドでの演奏も行っているそうです。

Tommy Allen & Johnny Hewitt – Back Door Boogie/Had My Fun – Colne Festival

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